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こんにちは。
カイゼン研究会 宇賀です。
「この会社の評価制度は良い感じがする」
「この仕組みは面白い」
上手くいっている会社の制度やルールを
自分の会社でも使ってみようとすることは良いことですが
制度や仕組みをそのまま持ってきて
結局、最初だけで形骸化してしまった。
思っていたように運用されなかった。
文化が違うからかな、、
という話がよくあります。
今回は
制度はどうやったら根付くか?
というテーマです。
ちょっと抽象的な内容なのですが
結論を先に言うと
制度・ルールの内容そのものより
その新制度を成立させるために
使う側に能力の変化がいるということです。
・制度やシステムの目的
・なぜ、これを導入するか?
ここをしっかりすればよいと考えがちですが
実際には
その制度を使うためには
今までとは違う能力が必要になります。
そこがはっきりしないまま
新制度に急に変わると
使う側は、
今までのやり方の延長になってしまい
新制度を自分の都合の良いように解釈する
過去の考え方のままで運用してしまいます。
かなり抽象的なので、
本文に入る前に
すごく簡単な企業の例で言うと
ISOを取った。
デジタル化を進めた。
のように、
環境や制度を変えた場合、
今までは、
・業務を正確に回す能力だったり
・問題が起こらないように調整する能力
が重要だったけど
確実な業務フローという基準ができた(ISO)
データが収集できるようになった(デジタル化)
という変化をさせる中で
必要な能力が
基準通りにできなかった場合
・なぜそうなるか?
・どこを変えたらよくなるか?
と言った問題解決能力や
データから何が問題かを発見する
分析能力や
そこから何をするか決める
自分でアイデアを出す能力
への切り替えが必要で
新制度が根付くためには
より重要になります。
むしろ、それが育たないままでは
形骸化してしまうというようなことです。
当たり前のように聞こえるのですが
このどう制度が根付くか?という研究は
国や企業、社会制度で広く活用されているので
丁寧に見ていこうというのが今回です。
それを見ていくために
突然なのですが、まず
金融制度の歴史を見ながら話していきます。
なんで急に金融なの?
ということですが
この制度がどう根付くかという研究は
「法制度の移植作用」
(The Transplant Effect)
と呼ばれ発展しています。
特に西欧で発達した法律が
アジアを始めほとんどの国で
近代から採用されていく中で
法という制度を移植しても
当初の目的通りにいかないのは
どんな要因があるか?というのを探る研究です。
言い換えると
ほとんど同じ法律(文章上で確定したモノ)を
使っているのに、なぜ差が出るか?
ということです。
そして
特に顕著なのが
金融制度の移植についてなので
その歴史について
かんたんに追っていきます。
まず
金融の歴史上での大きな出来事として
無限責任から有限責任への変化
というのがあります。
今の常識は
有限責任の考え方なので
何が違うのかわかりにくいですし
株主は出資した分だけが責任で
100万円出したらそれ以上損はしないでしょ。
と考えてしまいます。
しかし、
19世紀中ごろまでは
そうではないことが常識でした。
まず会社(法人)という概念がないため
借入や出資は個人間のやり取りになります。
例えば
大航海時代だったら
航海に出て、インドで香辛料を手に入れて
帰ってくる。
そんなプロジェクトがあったとすると
10人から100万円の出資を受けて1000万円
出資以外の費用を借り入れで調達します。
出資だけでプロジェクトを回せば
どれだけ失敗しようとも1000万円で済むのですが
基本はそれ以外に借り入れをしています。
その個人が失敗し、
すっからかんになっても
その家族や、出資者にまで取り立てが来る。
法人という箱がないため
出資者も、その個人の仲間として扱われ
(今でいう共同経営者)
借りた金や損害を返すのが正しいとされていました。
個人の人生、
それ以上に責任が膨らんでしまう。
これが無限責任の時代でした。
借りたお金は返すなんて当たり前。
返せないのは罪で投獄されるというのが、
当時の価値観と法制度でした。
今との違いを
別の視点で見ると
この制度の世界では
債権者(お金を貸す側)は
取り立てる能力が
重視されていたということになります。
・地域社会での人的ネットワーク
・地元裁判官や警察とのつながり
・その地域での信用に対する影響力
・グレーな暴力行為などなど
(先にポイントを言うと
有限責任の制度上では情報を取り見極める能力に変わる)
債権者は
貸した相手に逃げられさえしなければ
お金は返ってくるはずという前提なので
取り立てるという能力が
この制度上は重要なのです。
しかし、
17世紀にはじまる
イギリスやオランダ、
ポルトガル、フランスの
東インド会社での競争くらいから
重商主義の時代が始まり
国も関与しながら
ビジネスにかかる費用が大きくなっていきます。
国の信用があるから、
よほどつぶれることはない
債権者も無限責任ではない
中間的な取引が増え
制度上はまだ無限責任なのですが
国が補助するという
特例としての
有限責任制度の例が増えていきます。
ここで
転機だったのは
産業革命です。
鉄道事業や大工場といった
今までとは比べ物ならない
大きな事業が生まれることで
必要な資金量も大幅に増加していきます。
これまでの
無限責任制度のままだと
個人ではとても負えないリスクのため、
出資者が増えない
という問題に直面します。
しかし、
国としても莫大なインフラへの投資のために
広く出資者を募りたいので
有限責任への制度変化を
進めることになりますが
その際に
債権者側(銀行など貸し手)からの
猛反対に合います。
当時の常識で言えば
そんなことをしたら
返さない、嘘つきペテン師が増えるだけだ。
なぜ貸し手の銀行側がリスクを取らないといけないのだ。
という意見です。(すごくまっとうです。)
そこで
その抵抗を抑えこまれ
無理やり進めようとした国に
負けるのではなく
債権者側は有限責任が成立するための条件
という強い要求を出します。
責任が個人から法人に変わるので
・清算、倒産の法整備
・破産した場合の回収の優先順位
・清算や再建への影響力
など
終わりの定義を決めなければ受け入れない。
というのと
貸す前に相手を見極める必要性が
高くなるので
・情報開示、貸借対象表の標準化
・会計監査
・開示義務や頻度
・どういった場合に罰となるか?
→今までは返さなかったときに罰だったが
開示情報に虚偽があったら罰などの変化
という
借りる会社側のルール化
これらを同時に進めます。
銀行側と政府や議会を巻き込んだ
議論でしたが、徐々に制度が揃っていきます。
(会計や監査、信用調査会社なども並行して育っていく)
そんな制度変化を進めていく中
債権者に必要な能力は
今までの取り立てる能力から
情報を読み取る能力
リスクを数値化して値決めする能力
に変わっていきます。
こんな制度上の攻防や
必要な能力の変化
新し能力が価値と認められる過程
(信用調査会社などが出てくる)
がありながら
100年以上かけて
有限責任に変わっていきました。
そんな長い変遷の中で
新制度をどうすれば
貸し手も借り手も許容できるか?
そのためにはどんな能力が必要か?
というのを培う期間を経ての新制度でした。
(リスクを負うために銀行の能力が変わった)
ちなみに
この銀行の新しい能力が行き過ぎた結果
サブプライムローン問題が起こったともいえます。
高度にリスクの数理化が発展し
もはや。彼ら以外には理解できないものになり
中身はブラックボックス、
だから
投資家や買い手は
格付け会社のAAAという評価を
参考にするしかない
制度が悪かったというよりは
この有限責任の中で
能力が高度化し、
さらに
・住宅販売
・住宅ローン
・銀行
・格付け会社
・証券会社
と
情報の扱いが
分業化したことで
誰も責任を持たないシステムに
陥ってしまった例でもあります。
話を元に戻すと
このように
主にイギリスやアメリカで
変遷を経てきた「制度」を
近代になって
日本や中国では導入します。
西欧の無限責任→有限責任への変遷や
能力の変化を経験しないまま、
出来上がった制度のみを持ってきたので
法律上はほとんど同じルールなのに
運用ではかなり差が出てしまいます。
それは今でも続いており
債権者の情報収集や
リスクの数値化能力が高まる前、
企業でもなぜ情報を開示することが
腑に落ちていない。
無意識に無限責任の考え方を
取ってしまう慣行の中で
西欧で育った制度が移植されてきます。
日本で言うと
銀行のリスク判断も、
企業側の開示も発達していない中で
ルールだけが来たので
まだ、
無限責任に近い慣行である
経営者の個人保証や連帯保証や
不動産担保と保証人評価が前提の
融資がかなり残っています。
事業自体のリスク・収益性評価よりも
人を見ての融資が根強いです。
(取り立ての能力で重視されていたもの)
最新の制度は持ってきたけれど
必要な能力を育てないと
以前の習慣に最適化するように
制度が使われてしまう。
本来の制度の目的である
リスクを可視化し、事業のために資金を広く集める。
そして、失敗してもまた立ち直れる。
ということが達成されず
従来の商習慣が残ったままの運用が
長期間続いた顕著な例になります。
今でもこのギャップを埋める政策は続いており
個人保証の融資に関しては
政府から中小企業向けガイドラインを出して、
この10年で個人保証なし新規融資の比率が
約10%→約50%と急激に改善されていますが
OECDから
失敗、リスクに寛容ではない国と評価されてしまっています。
面白いのは
それは
西欧との法律・制度上の違いが
原因ということではなく
法律や制度はほとんど一緒なのに
行動(起業数や破産制度を使う割合など)が
増えていないことを原因として
その評価を受けているということです。
同じ制度を持っていても
使う側の人の能力に依存して
その差が出てきているということでした。
ちなみに
中国ではまた違った使われ方で
以前書いた地方債務問題のように
国による暗黙のリスク保証を期待し
貸し手はそのシグナルに基づき
貸し出しを起こっている慣行があります。
これは
西欧での無限責任から有限責任への
移行期として、国が保証していた時代に似ています。
これは計画経済(国営企業)を経験し
市場ではなく国の保証を重視してきた名残であり
そこが問題として出てきた顕著な例でもあります。
▼過去のコラム
https://note.com/like_fish4618/n/na49c44ae6287
(地方債務問題)
https://note.com/like_fish4618/n/n971f2609c42b
(計画経済と国有企業の変遷)
このように
制度、法としては
欧米もアジアも内容はほとんど
変わらないのですが、
その制度変化の体験や
能力の切り替えが済んでいないため
運用に大きな違いが出ています。
この制度の変遷を経験する中で
必要な能力が変わっていく。
その能力までセットで育てることによって
新制度やルールが目的を達成する。
ということを金融制度変化の歴史から見てきました。
すごく大きな例を使ったのですが
・企業のISO導入はなぜ効果が見えにくいか?
・多国籍企業で本社の制度の導入がなぜ形骸化するか?
・合理的に見える制度の導入が、
なぜ実務に変化を生まないまま維持されるか?
などなど
企業を題材に
とった研究もたくさんあります。
でも、
おそらく
一番わかりやすいのは
この金融の例だなと思い使わせていただきました。
もう一度企業に当てはめると
制度をとり入れるだけではなく
その中で求められる能力をどう変えて欲しいか?
能力のことをここでは、
仕事の方法や定義と
言っても良いかもしれませんが
新しい能力の明確化や同意、
その変化のためのサポートや
実際に変わっているかの確認を
最初から入れておかないと
実態は
以前と同じ運用や行動で
最初に挙げたような問題
(形骸化や文化の違いだから仕方ない)
ということが起こり、
せっかくの良い取り組みが
違う目的で運用されてしまうという話でした。
「良い制度を入れたのに
うまくいかない」
私の体感としても
それは
失敗ではなく
能力の切り替えが
まだ途中なだけだと思います。
制度と
その制度を回すために必要な能力は何か?
この2つをセットで考えることが
形骸化しない制度づくりの
出発点になると思います。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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