こんにちは。
カイゼン研究会(a-Sol上海)の宇賀です。
noteはこちら
中国の歴史シリーズということで
中国特有の国有企業と計画経済の成り立ちについてです。
上手くいっていない工場の仕組みを見ると
計画経済のような運営がされていることが良くあります。
言われた数だけを作ることだけに特化し、
需要に合ったリソース調整という、
市場に合わせた仕組みが抜けていることがあります。
そんなことを踏まえながら
実際の計画経済と国有企業はどのように出来上がり
改革開放以降どのような変化をしたのか?
という歴史からヒントを得ようというのが今回です。
日本でも以前は
国鉄や日本専売公社(たばこ)など
国有企業がありましたが
今ではすべて民営化されています。
インフラやエネルギーなど公共性の高い産業で
国有企業を設置する国は多いですが
中国の社会主義化後は
すべての企業が国有企業になっていきました。
そこから改革開放を経て
民営化が進みましたが、
依然として国営企業の影響力は
他国と比較しても大きいという構造になっています。
(中国国内企業売上トップ500社のうち国有企業が約300社を占めているくらい)
今回は以下の順番で進めていければと思います。
共産党による中華人民共和国建国時点(1949年)では
国民党や官僚による多少の国有企業はありましたが
基本的には市場経済だったので
民営企業が一般的でした。
地域によって差はありましたが
経済の中心地である上海だけ見ても
99%は民営企業というのが当時の状況です。
(東北では満洲時代の企業などが引き継がれていたので
国有企業が多かった。)
ソ連で言うと
それらの民営企業を一気に国有化したことで有名ですが
中国の進め方は異なっていました。
中国では社会主義というのは同じですが
混乱を避けるために、
もともと官営、国有の企業はそのまま接収し
政府所有にする一方
民間の利益は保護するという方針で
民営企業はそのまま残されました。
ソ連のような国有化はされずに
経営者、資本家はそのまま保護されるということで
経済の主役は民営企業のままだったのです。
しかし、
やはり社会主義という形式もあり
民営企業に対するスタンスは
政府の指導を基本とするというような表現がされており
「新民主主義経済」と呼ばれ
いろんな解釈ができるようにとどめられておりました。
そんな状況で始まったのが
「加工発注」という制度です。
国有企業が民営企業に対して
生産を委託していく制度です。
国有企業が材料提供をしたうえで、
加工を委託しもちろん加工賃は支払います。
基本的に国有企業は大企業が多いので
それと民間の企業を結び付けるような制度になります。
発注の際は商工局(民営企業管理局)に登録し、
商工局が発注を多数の民営企業に配分していきます。
(国有→工商局→多数の民営企業という関係で
発注・生産量をコントロールします)
この制度が始まった当初は
売上に占める加工発注の割合は少なく
今まで通り市場からの割合がほとんどでしたが
朝鮮戦争の勃発で関係が一変していきます。
戦争状態ということで
政府は統制を強めなければならない状況になります。
・輸出禁止
・生産の許可制導入
・物資統制
特に物資統制では
供給量が十分なものは今まで通り。
不十分なものは政府による買上げと配分。
という流通統制の管理が始まり
特に工業では自由に市場参加ができなくなります。
(軍需に対応するため)
民営企業は原料や材料を買付したくても
統制経済の中でできず
どんどん政府機関や国有企業からの
加工発注に頼らざる得ない状況になっていきます。
売上に占める加工発注の割合が
1949年の10%→1951年に43%まで上昇します。
民営企業はこれによってかなり儲かるのですが
加工発注の割合が増えることによって
問題が噴出してきます。
・発注元である政府への接待や賄賂
・工商局を通さない発注と受注の偏り
・受注の偏りによる納期遅れ・品質の低下
などなど
戦争を機に儲けようとする民営企業・資本家の
競争からこのような問題が顕在化してきます。
ココが計画経済化への転機となるのですが
この現状を重く見た政府が
「三反五反運動」という政治キャンペーン運動を
始めます。
三反は
「反汚職」「反浪費」「反官僚主義」
五反は
贈賄・脱税・国家資材の横領・原料のごまかし・経済情報の漏洩
という内容で
資本家に対しての
内部告発を奨励させる反ブルジョアの運動です。
文化大革命とかなり似ており
工場の労働者が経営者をつるし上げ
政府はこの三反五反の内容が見つかれば
厳しく処罰をします。
この運動で横領や脱税など
経営者や資本家が大勢逮捕されたり
精神的に追い詰められたりと
かなり過激に展開されたことで
もはや
政府は資本家を守ることはないということが
この運動で示されます。
このように民営企業が労働者によって攻撃され
弱体化していく中で
毛沢東から
より高次の社会主義への移行が宣言され(1953年)
民営企業はすべて公私合営化が進められます。
政府による出資と人の派遣を行い
共同経営という名目ですが
実質は政府指導の体制が出来上がります。
企業の利益配分も
もともとの民間の経営者には一律5%
残りがすべて政府収入なるという具合で
ここで初めて
企業の損益と資本家へのリターンが分離され
国有化の道を進みます。
1956年にはすべて公私合営企業となり
そのすべてが年内に国有企業へと変わります。
事実上、もともとの経営者はいなくなります。
戦争→経済の過熱→資本家の腐敗→資本家への攻撃
→民間企業の弱体化→政府の民間企業の所有
という流れが
5年もかからずに一気に完成することになります。
ここから本格的に
政府目標にもとづく計画経済が始まりました。
計画経済が本格的に始まった後は
大躍進政策の失敗であったり
権力闘争から始まる
文化大革命があったり
混乱の中で経済が低迷する20年が続きます。
毛沢東が亡くなった後
1978年からトウ小平による改革開放が始まり
市場化が徐々に始まっていきます。
この時期はすべて計画経済で
生産量・価格が決まったものを作る
というだけだったので
一気に市場経済化すると
混乱し、国内も安定せず、外資にもやられてしまう
ということから、時間をかけて
3つの段階を経て進めることになります。
(他の国でもよくあるのが、一気に解放して外資からの投資を呼び込んでしまい、弱い国内産業が淘汰されてしまうということです。目先の利益は大きいですが、長期的に国内産業が育たないリスクがあります。)
第1段階1978年~1992年。
▼国有企業への権限委譲と合理化政策
よく聞く計画経済の問題点である
・官僚的硬直化
(指示やルール以外のことをしなくなり、自主的に考えない)
・労働インセンティブの欠如
(効率を上げるなどの努力をする理由がない)
に対応する策として
国有企業に対し
自主経営権を部分的に認める政策をまずは進めました。
具体的に言うと
生産、販売、利益分配は
それまで全て政府が決めていましたが
政府計画も維持しながら
計画以上の生産と市場での販売
外部からの注文を受けること認めることから始まりました。
特に影響が大きかったのは
利益配分面で、それまで
企業の損益はすべて政府に帰属していましたが
利益の一部を企業内に留保することが認められ
それを原資に労働者向けのボーナスなどが実施できるようになりました。
そういった「放権譲利」という改革が徐々に進められ
1984年にはさらなる拡大
製品価格の決定、賃金、購入先選択など
自主経営権を拡大させ、自主財源もより自由になっていきました。
その自主権拡大とセットで
資金集めの方法にも改革があり
今まではすべて政府からの交付金だったのが
自らの資金需要を計算し、
銀行融資を受けるように転換されたことで
計画経済の側面も残しつつ
自主経営すなわち
利益の獲得や資本効率を考える
資本主義での経営が徐々に浸透していくことになります。
(経営請負責任制の普及)
計画経済比率が下がっていき
国有企業の生産拡大が進んでいくことになります。
国有企業の市場販売比率は
1988年約時点で約30%
1992年時点で約53%となり
半分市場経済化しているような状態になります。
・利益の一部を政府への上納
・赤字は自己補填
・資金需要は銀行融資
と変化してきたことで
政府の財政と
国有企業の財政は完全に切り離されていく
ようになっていきます。
(国有企業とは言いながら
ほとんど自主経営の状態で
他国の国有企業とは違った形態です。)
第2段階1992年~1997年。
▼社会主義市場経済と株式による資金調達
国有企業が計画経済に慣れきった状態から
欧米や日本のような合理的経営へ徐々に適応していく中で
1992年に社会主義市場経済への移行宣言が出されました。
この時代は既に冷戦も終わっていたので、
中国も資本主義の市場経済になっていくだろうとの
見方が大部分でした。
効率の悪い国有企業を民営化し
市場競争の中で効率の悪さが解消されて
やがて欧米と同じような経済環境になる
というのがその時の各国の考えでした。
(日本でいう国鉄→JRのように)
それを裏付けるように
国有企業の民営化(払い下げ)が進み
国有企業はどんどん民営化されるということが起こりました。
それに合わせて
残った国有企業の株式会社が進んでいくのです。
上場企業も
1992年時点では香港市場を合わせて
53社のみでしたが2005年には1558社まで急増します。
ところが
その中身を見てみると
各国の予想とは違い
この国営企業の払い下げと株式会社化は
単純な資本主義化ではないことが徐々にわかってきました。
まず
国営企業の払い下げについては
基本的には政府による選択と集中でした。
中小企業や非重要産業(軽工業など)に
絞られて整理、民営化されており
国有企業として残っているのは
他国でもよくあるエネルギーやインフラのみ
というわけではなく
工業、鉱工業などの分野で数多くが
国有企業として残されていました。
重要な産業は基本的に国有企業として残しており
政府による経済の主導は失わないようになっています。
(管制高地政策)
次に株式会社化についてですが
一般的に考えると
国鉄からJRのように民営化されていく
流れのように見えます。
しかし、
第1段階の「経営請負責任制」の
資金調達が銀行融資のみという
国有企業の弱点を克服するための株式会社化でした。
どういうことかというと
それまでは設備投資や規模拡大をしたくても
銀行融資に頼らなければならず
資金量やスピード感が資本主義の環境より
かなり制限されていました。
株式会社化を進めるという決定の後は
株式として民間から資金調達することで
銀行融資のみより、資金調達の選択肢を増やすことで
資本拡大がより自由に進めることができるようになったのです。
しかし、
主要株主は政府のままであり、
国有企業のまま、株式という手段で
資金集めができるようになったというのが実態でした。
1993年に会社法の制定や、
貸借対照表などの会計制度が整えられ
資本主義諸国のようなルールは整備されましたが
株式総会なども形式的で
経営者や重要役職の人事も
政府に決定権があるという状況です。
(これは今でもそうです)
赤字の国有企業を民営化し
経営効率を上げるという、各国の方法とは異なり
重要産業や優良企業を
国有企業のまま株式会社化し
政府のコントロールは失わないというのが
中国の特徴です。
これだけ聞くと
経営効率は悪いままじゃないのか?
という疑問がわくかもしれませんが
資金調達の自由化の後に進められたのが
次の段階です。
第3段階が1997年~2004年。
▼国有企業の資本効率向上
他国の国有企業とは全く違い
市場経済を重視する企業だと思わせたのが
大規模な人員整理政策です。
社会主義国家の国有企業ということから
「人員整理、解雇」はタブーというのが通常でした。
しかし、
この時期に「減員増効」(人減らし合理化)という
スローガンを政府が掲げ
国有企業の経営再建を行います。
今まで職責の違いこそあれ
国有企業の中で働いている人は
すべてが職員であり、階級の違いは
ありませんでした。
しかし、
雇用保障を前提としないという政策から
経営側と労働者というのが明確に分けられ
有期の雇用関係となったのがこの時代です。
どのように整理を行ったかというと
まず全国に
「再就職サービスセンター」が建てられました。
全国の国有企業で余剰と判断された人員は
契約は維持したまま、そこに異動になり
3年間再就職斡旋がされます。
その間は、
国有企業からの賃金の60%が保証されます。
その賃金保障は政府、国有企業、失業年金基金等で
3分の1ずつ負担となり、国有企業にとっては
その3年間は通常雇用時の賃金の20%で済むという
仕組みです。
(大規模なハローワークと失業保険のようなもの)
しかも政府の号令で始まっているので
対象人数もかなり多く
1998年 691万人
1999年 619万人
2000年 445万人
2001年 234万人と
1996年時点での国有企業と政府の労働者数
全体の1億949万人の内
約25%がこの間に人員整理されているので
その影響の大きさがうかがえます。
(2003年にはこの整理が完了し
「再就職サービスセンター」はすべて閉じられました。)
三反五反運動から国有企業化後の時代に慣れていた
労働者は大きく動揺し、
労働者と経営層の関係がそれまでとは一新されました。
それまでの他国の国有企業とは全く異なり
市場経済、競争を前提とした国有企業だということが
世界に知られたのはこの時でした。
このように
国営企業でありながらも
効率を重視、それによる評価というのが
作り上げられていきます。
特に
経営業績よる幹部評価制度は
売上・利益・ROE(自己資本利益率)など
ほぼ資本主義社会顔負けの指標となっており
増収・増益・資本効率が目標・評価基準となり
その達成度でインセンティブが決まるという管理体制に
移行していったのです。
2004年以降は
国有企業は民営企業に比べて非効率であるという
今までのステレオタイプを覆すような業績を見せており
一般的な資本主義国の民営企業より
利潤動機の強い設計がされています。
伝統的な国有企業時代から強い企業が
市場経済の中で、資金調達と経営権の自由を取り入れ
より強い国有企業に変貌していったことが分かります。
このように20年以上の時間をかけ
市場化していき、重要産業での
国有企業の実力と自信をつけた後に
民間の成長、外資の導入を
躊躇なく進めていくという流れになります。
その一方で
改革後の国有企業での問題も表面化してきており
更なる改革が必要というのが叫ばれ出したのが
2015年からでした。
主要な問題で言うと
・汚職
・国有企業の営利性と公益性のバランス
この2つはどちらも
国有企業の過度の市場経済化
拝金主義から発生しています。
これらは改革開放当時から懸念されていたことですが
トウ小平はリスク承知で経済発展優先を維持しました。
(地方幹部の汚職がひどく、経済発展のための国家予算が通らない年もあるなど、
党内でも賛成派、反対派に分かれていた大きな問題でもあります。)
習近平が主席に変わってから
この問題を可視化するために
「巡視工作」という検査チームが各国有企業の検査を行います。
(今までもその組織はありましたが、胡錦涛では権力基盤が弱く実施できていない状況でした)
三反五反運動は資本家に向けての運動でしたが
この検査は政府・国有企業の経営者・管理者に向けての
内部捜査・告発という形になります。
まず中央管轄の国有企業のみを検査した結果
56%の企業で入札などの不正
90%の企業で公費を使った宴会、ゴルフ、旅行での不正
87%の企業で不正人事や役職の金銭による売買
かなりの不正が見つかり
規律委員会という監督機構が機能していないことが問題となりました。
(国有企業は中央管轄と地方管轄がありますが、地方管轄の方がかなり数が多く、
より厳しい管理であるはずの中央管轄企業でこの結果ということです。)
2014年~2018年で1215件が汚職として
有罪判決となっており
多いのが収賄罪(481件)と横領罪(338件)となっており
第一汽車など有名企業でも逮捕者が出ています。
もう一つは
営利性と公益性のバランスということで
本来なら国営企業は対象事業に専念し、
国に貢献することが求められますが
あまりにも過度に商業主義に走るあまり
本業とは無関係のビジネスに手を出します。
特に不動産開発はかなりの企業が手を出しており
電力や石油会社まで子会社を通してマンション開発を
行っているということが、本業軽視として問題となっています。
営利性を追求しすぎて
公益性を損なっているとの批判が出ており
国有企業としての在り方と矛盾が出てきている状況です。
これを受けて
売上や拡大重視の評価制度の
配点見直しが実施されておりますが
これらの問題は
国有企業改革として現在でも続いています。
中国の国有企業の変遷について長々と書いてきましたが
計画経済から市場化へのポイントは
幹部への経営権の委譲や利潤動機の設計
また、評価(アメ)と雇用保障(ムチ)を
1つ1つ達成してくことで
時間をかけながら作り上げたことが
ソ連とは違う結果を導いてきたように見えました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
