上海でいう南京路の北側
虹口区にある魯迅公園で
10月19日に魯迅追悼行事が
行われたということを
テレビで見かけました。
89周年ということらしく
普段なら気にも留めないのですが
魯迅の孫である周令飛さんへの
インタビューが流れ
孫が上海にいるんだぁ。
くらいの小さな興味で
なぜか見続けてしまいました。
インタビュアーは
近年は若者やネットで魯迅ブームが続いていますが
どう思われますか?
と孫に聞くのですが
ネットでのブームは
かなりふざけたり
茶化したりした内容が多く
ウィーチャットのスタンプなどで
白黒の魯迅の写真を背景に
名言風のことを言わしたり
自分の主張したいことを言った後に
「・・」と魯迅が言っていた。
と言うスタンプを使ったりという
流行がここ数年あったことを思い浮かべました。
孫はどう思っているんだろうと
反応が気になったのですが
インタビューの前半はかなり寛容で
魯迅の言葉は今の若者の心を代弁しているのかもしれません。
というように
返答していたのですが
やはり
そういう使われ方や流行りは
よく思っていなかったらしく
「ネット上で流れている
「~~だと魯迅は言った。」は
ほとんどがでたらめで、
魯迅は言っていません。
現代の方法で捉えるのは良いことですが
茶化すようなことはやめて欲しいです。」
と
途中から注意喚起に変わり、
さらに
「最近の若者は何でも冗談にする傾向がある。
ネット文化もそうで
スマホで無意味な動画ばかり見るのではなく
古典を読みましょう。
まったく無意味で無内容です。」
とかなりご立腹でした。
やはり、
何にでも
魯迅はこう言ったと冗談のように使われことに対して
相当よく思っていなかったようでした。笑
このインタビューを見ながら
今年1月に芥川賞を受賞した
「ゲーテはすべてを言った」
を思い出しました。
ドイツでは
なにか名言めいた言葉や
名言だけど誰が言ったかわからない時は
もうゲーテが言ったことにしておけばいい
というジョークがあるようで
小説の中では
ゲーテ研究者の主人公が
自分の聞いたことのない
ゲーテの名言に出会い
それを膨大な著書から探していく
という作品がありました。
これは言葉を探していく中での
新たな発見や、言葉の意味を探す
冒険のような内容で
すごくおもしろいのですが
魯迅も
中国でそんな扱いをされている
のかなと思ったりもします。
なににでも
「魯迅は言った」
と付けておけばよいと。
しかし
そんな茶化した内容ばかりではなく
若者が実際の作品を引用して現代の状況を
表現していることもあります。
魯迅の作品は
狂人日記にしても
阿Q正伝にしても
辛亥革命後の中国の現状を描き
旧態依然とした文化や人
特に魯迅と同時代の人への痛烈な批判が
あります。
例えば
短編の「孔乙己」では
科挙の試験に受かることができなかった
孔乙己が
今の生活には役に立たない知識ばかりなのに
知識人というプライドを捨てきれない様子が
痛烈に批判の対象になっています。
(知識人の象徴である長衫を着て生活している)
小説の中では
科挙に受からなかった設定ですが
魯迅自信の時代では
1905年に科挙の制度は廃止されたものの
制度自体がなくなった後も
その旧態依然とした知識や行動をしていた人は
多かったと思います。
そういった
昔の価値観のまま変われない中国人への
批判が込められた作品です。
しかし、今では
この「孔乙己」の
ずっと勉強してきた知識が使い物ならず
生活していけない様子が
現在の中国における
大学生の比喩として使われています。
競争して大学、大学院にまで進んだものの
就職先がないことを
この作品を使いながら揶揄しているのです。
作品自体の
捉え方は変えていますが
現代に当てはめて使っている例ですが
こういう使い方に関しては
魯迅の孫も賛同しており
現代人の気持ちを
過去の作品に投影した
現代ならではの解釈として褒めていました。
この「孔乙己」のブームは
改めて考えるとすごいと思います。
日本で例えるなら
若者の今の社会問題や課題を
夏目漱石のような
100年前の作品を引用しながら
若者の間でキャッチーに流行らせている
ということですもんね。
そんな現象は
今のところ思い当たりません。
中国だけでなく
日本の作家への影響もかなり大きく
昔で言うと
太宰治の「惜別」という小説は
魯迅の日本留学時代を振り返るような内容ですし
最近で言うと
綿矢りさの「パッキパキ北京」
という小説の中でも
阿Q正伝の引用
心の持ちようとしての
精神的勝利という新しい見方
原作では自己欺瞞で
変われない中国人の代表として
扱われていた阿Qのこの精神的態度を
この小説の主人公は
こういう捉え方もあるかもしれないと
前向きになるきっかけとして使われたりしています。
(北京駐在者の妻が主人公の小説で、
コロナ下の北京が描かれておりおもしろいです。)
一般的なブームとまではいかないですが
日本の作家の中では見直しや引用
現代への再解釈というのが
行われてきたのかもしれません。
