おはようございます。
カイゼン研究会 宇賀です。
先月
山東省の青島市に行ってきました。
最近だと
年に一度のビール祭りが
開催されているので
街の各エリアで
いろんな味のビールの屋台や
それにまつわるイベントで
にぎやかになっています。
その影響で
飛行機もホテルも
ものすごく高くなっていますが、、笑
メインエリアでは
世界中の各ビール会社が
臨時のライブ会場のような
大きな骨組みの巨大テント
即席のイベント会場を作っており
ステージ上では
おそらく有名なバンドや歌手が演奏して
客席側では
1リットルのジョッキを片手に
準備された
ビールタワーから注いで飲んでいる
酔っぱらった観光客の人たちで
埋め尽くされていて
かなり、熱気のある会場になっています。
(そんな会場がビール会社ごとにあります。)
もちろん
ビールだけの街ではなく
昔、
ドイツの占領地であったため
旧市街地に行くと
洋風の建物どおりがあり
食べ物やおしゃれなカフェが並ぶ
観光街があり
当時のドイツ建築である
旧ドイツ総督官邸などがあります。
1898年から始まる占領期に
実際に使われていたもので
上海や武漢の租界の
西洋建築とは違った
左右非対称で、
石造りや
出窓などが印象的な
近代というより
中世の城のような建物で
部屋の中も見学できます。
ドイツ時代を
色濃く残している青島なのですが
中国では珍しく(唯一?)
第一次世界大戦博物館があります。
ドイツがどのように
青島エリアに進出し
鉄道や工場を作って開発し
(もちろんビールも)
その後
第一次世界大戦の始まりと共に
日本との戦争が始まる。
この日独戦争が
かなりメインで扱われています。
第二次世界大戦については
学校でも、テレビでも
学んだり、触れたりする機会が多いですが
1914年に青島で
日本とイギリス連合と
ドイツが戦ったことは
戦争期間が短かったこともあり
あまり詳しくは習わないイメージです。
当時4000名もの
ドイツ兵の捕虜が出た際
日本に輸送し
戦争が終わるまで
国際法にのっとって
ドイツ捕虜を管理していた
記録が残っており
その中でも
徳島県の板東収容所の話は
小説にもなっています。
直木賞作品の
「二つの山河」や
「ハンスの林檎」という小説では
ドイツ兵の徳島での生活
収容所の松江所長の交流
について書かれています。
収容所とはいっても
国際法
軍人としての給料は支給され
ドイツ人たちが
パン屋、ソーセージ屋
印刷所や、家具屋
を自ら作って経営したり
クラシック音楽会や
サッカー大会を開き
徳島の人々と交流したり
生活を縛らず
なるべく西洋視点での
自由や人権を守ろうする
松江所長の姿が描かれていて
イメージしていた
大正時代初期の風景が
覆される出来事ばかりです。
収容所とは言いながら
ドイツ街になっていく姿は
1916年の徳島県とは思えないですし
捕虜の扱いでも
当時の国際法を守り
模範的な態度であろうとするだけでなく
ドイツ人の発想力や
規律、勤勉さや、
進んだ文化、技術を
必死に学ぼうとする
松江所長の奮闘を見ていると
当時の時代のイメージが変わります。
戦争が終わり
1919年にヴェルサイユ条約が結ばれ
ドイツ兵のほとんどがドイツに
帰っていくのですが
その中でも日本に残り
バームクーヘンの
「ユーハイム」を創業した方や
敷島製パンの技術長として
残った方もいるようです。
そんなことは
まったく知らなかったのですが
今でもドイツ村として徳島に
跡地が残っているようなので
行ってみたい気もします。
少し話が変わりますが
そんな博物館を見ていて
不思議に感じたのは
ドイツと聞くと
当時の日本がお手本にした国
あこがれを持っていたんじゃないか、
という
イメージがあることです。
明治維新のあと
岩倉使節団が約2年をかけて
欧米視察をした記録
「米欧回覧実記」
を読むと
アメリカ、イギリス、フランスに関しても
その先進性、文化、技術力に
驚かされているのですが
中でも
ドイツに関しては
大久保利通も伊藤博文も
ヨーロッパでは後発から
急速に発展した国ということから
日本が参考にすべき国として
かなり思い入れが強い感じを受けます。
実際、使節団一行は
当時のドイツ宰相ビスマルクと
宴席を共にし
世界各国は礼儀や法
を守っているように見えるが
利益が絡むと、結局は強弱で争うことになる。
自主権を維持するには
国力をつけるしかない。
日本は昔の弱いまま
世界に放り出された
プロイセンに似ているので
まずは国内の安定と発展が必要だ。
と、
ビスマルクの演説に
共感したことが書かれています。
憲法作成や衛生管理の際も
大きく参考にしただけでなく
その後も、
留学生の派遣先として
森鴎外や新渡戸稲造
後藤新平がドイツで学んだ後に
日本で活躍していたりします。
陸軍の管理システムでも
ドイツの少佐をアドバイザーとして招聘して
フランス式からドイツ式に変更したり
しています。
そんな
日独関係が変化していくのは
ビスマルクがいなくなってからです。
まずドイツ統一を優先
外交も安定優先
戦争しても勝ち過ぎない
他国が外に繰り出し
植民地を増やす競争をしていても
それはせず
国内優先を貫いてきた
そんな
ビスマルクが1890年辞任すると
急激に方針が変わっていきます。
新皇帝のヴィルヘルム二世は
ビスマルクとは正反対の方針で
拡大を目指す「世界政策」
に変わっていきます。
その流れで
日清戦争後の三国干渉
青島占領、第一次世界大戦へとつながり
今回博物館で見た
日独戦争にまで向かっていきます。
当時の
ドイツ国内から見てみると
まさに激動の変化を体験した50年です。
ビスマルク時代
1871年のドイツ統一から
世代が変わり
新皇帝が海外占領政策への方向転換
第一次世界大戦に突入し
国内が疲弊していく中で
戦争で疲弊した
国内で左派の革命により
皇帝が退位(亡命)してしまう。
皇帝退位後も
左派同士協力していたはずの
社会民主党と
スパルタクス団(共産党)が対立し
さらに国内で争う。
その結果
社会民主党が勝ち
1919年にワイマール共和国ができる。
(「ベルリン1919」という小説はこの辺が市民の目線で書かれており、すごく面白いのでお勧めです。笑)
ドイツにとって
この激動の50年間は
ちょっと想像できないくらいの
大きすぎる変化があるので
大久保利通や伊藤博文が感じた
1873年のドイツと
1914年の日独戦争の際のドイツは
日本から見ると
かなり別の国に見えたのかもしれません。
ちょっと
なぜか青島ではなく
ドイツの話ばっかりになってしまいましたが
ビールも海鮮も美味しいですし
夏の風物詩のビール祭りもあるので
旅行にぜひおすすめです。笑
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