おはようございます。
カイゼン研究会(a-Sol上海)です。
今まで
なにかを決めるために
何度も会議に出席してきましたが
想像するだけで
絶対に出たくないなと感じる、
会議が昔ありました。
それは
清朝崩壊の時期
孫文による辛亥革命の後
1913年に行われた会議でした。
「読音統一会」と呼ばれ
新中国を統一するためには
まずは国語から統一しないといけない。
面積も広大で
多くの地方が存在し
方言も無数にある
政治的な統一も
教育的な標準化も
言葉が伝わらなければできない
ということで
中華民国臨時政府は
この「中国語」というものを
統一するための会議を開きます。
この時代は
中国史の中でも政治が混沌としていた時代で
単純に辛亥革命が終わった、
政府が変わった
というわけではなく
革命により民主主義的な
臨時政府ができたのですが
袁世凱が孫文の代わりに総統になり
国民投票では国民党が勝ったのに
国会から締め出され
袁世凱が独裁体制を築こうとし
孫文も2度目の日本への亡命をし
清時代からの中国各地の軍が
勝手に地方を統治し始めた
軍閥が始まった時代です。
そんな混沌とした最中に
今でいう教育庁は
中国語の統一のための会議を
開始したということになります。
それだけでもすごいのですが
参加者は
中国の各省を代表する44人
そして、それぞれが
自分の普段使っている言葉が
正しいと思っているわけですから
想像するだけで
まとまりそうにない会議です。
激論が続きますが
北京語を主体にする一派と
蘇州、浙江、広東などの南部を代表する一派に
分かれていきます。
言語学的な議論もされていましたが
ややこしいので大まかに説明すると
それまで
官が使っていた言葉
(行政や官僚で公式文書として使われていた漢字や単語)
つまり俗にいう
北京語に合わせようと主張する一派と
北京語自体もイチ方言に過ぎない
誰でもできる標準的な発音を作ろう
という南部の一派です。
(北京語の巻き舌などは少数しか話せないと)
ちなみに
じゃあどうやって清朝など(朝廷)の
公布を各地方に伝えていたかというと
文書は繁体字での文語で統一されており
官僚などはそれを使います。
それを地方ではそもそも識字率が低いので
通訳(各地方で方言を扱える人)が
読み上げて、伝えるという方法で
それまではやっていたそうです。
「読音統一会」は平行線のまま紛糾しますが
決めなければいけないので
結局、投票制になります。
やり方が
すごくおもしろいのですが
漢字1文字につき毎回全員で投票し
漢字と読み方を決めることになったのです。
投票を6500回(字)繰り返したと。。
ある国の国語が多数決によって
作られたのは中国だけだそうです。(笑)
それだけでも気が遠くなる話ですが
それを一か月ちょっとやり切りました。
主な争点としては
話者数が多い、
広東語や福建の閩南語
あまり詳しくないのですが
浙江や蘇州の方言にも
入声と呼ばれる
単語の最後がt,p,kで終わる
発音があるようです。
現在の普通語にはないのですが
南部では日常の発音なので
それを入れるかどうかで揉めます。
投票は各省の代表で行われますが
南部の発音を持つ人の方が多いので
北京語を主体としながら
この入声まで含んだ折衷案で
文字の読み方で統一されることになります。
完成したモノは「老国音」と呼ばれ
これが公式の中国語だということで
決着がついたそうです。
その中で
発音記号である注音記号ができるのですが
「ボポモフォ」とも呼ばれ
台湾では今でも使われています。
私も台湾で中国語を習ったので
使えるのですが、キーボードなどで打つのは
こちらの方が断然速かったです。
(今はもう忘れました)
この完成した言語を
普及させようとするのですが
重大な欠陥があり、
結局普及を断念します。
それは
誰もちゃんと聞き取れないし
話せないということです。
各地方の発音を取り入れた
折衷案としての発音なので
教えれる人を育てることから始まります。
現場では先生も官僚も
間違いが続出し
うまく根付かず
結局
1930年代に
北京語の発音ベースで統一されることになったようです。
国の教育・未来のため
国語の統一という理念をかけ
熱い議論を繰り広げた会議でしたが
投票に最適化してしまい
みんなの良いところを取り入れれば
理想的なものができる
会議、投票という制度の中で
頭でっかちになってしまい
言語なのに
実用性をかけ離れたものが
出来上がったということなのかもしれません。
これと同じ時期に
中国で胡適や陳独秀、魯迅などが先導した
新文化運動が起き、
主に話し言葉と書き言葉の統一を目指し
(言文一致)
書き言葉は少数しか扱えない
古文で書かれており、
大衆が読めないので
そもそもの伝達という目的が果たせないなど
旧来の言葉や文学の在り方を変えようとする運動が
起こっています。
ちなみに
日本でも幕末から明治に変わる時は
同じような状況で
この言文一致の活動というのは
明治初期くらいに起こっています。
森鴎外の舞姫などは
ちょうどその狭間の時期で
以前の書き言葉が使われているので
読みにくいですよね。
話がそれましたが
中国での読音統一会の後
結局、北京語へ収斂いていく中で
その次は
中華民国が
「簡体字」の草案を1936年に公表します。
目的は
非常に低い識字率の向上を狙った
読みやすく、書きやすい文字を。と
高い理念を持った施策なのですが
ものすごく反発をくらい
(発表した時期も良くなかったのですが)
すぐに取りやめることになりました。
その後
1950年代以降に
共産党に引き継がれ
推し進めることになりますが
中華民国時代に
もともと考案されたものだったとは
知りませんでした。
発音を決める会議は
文献を読んでいるだけで
ものすごく情景が想像でき、
口論している様子まで思い浮かぶのですが
老国音での中国語は
どんなものだったのだろうと
興味が尽きません。
