おはようございます。
カイゼン研究会(a-Sol上海) 宇賀です。
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最近、
台湾の台南市に旅行へ行ってきました。
台南と言えば
台湾の中でも古い町並みが残っている地域で
戦前の日本家屋や長屋なども残っている
どこかなつかしさを感じる場所です。
オランダ統治時代の
安平古城や
そのオランダを倒した
鄭成功を祭る廟などもあり
台湾の複雑な歴史をたどれる町でもあります。
鄭成功は台湾では重要な歴史人物で
孫文、蒋介石に並び、
国神として扱われているのですが
明朝に遣えていた父が
清に降伏してもなお
鄭成功自身は抗戦を続け
台湾にまでわたり、オランダを打倒し
そこから清への反攻を目指していた人物でした。
成し遂げることはできませんでしたが
台湾に渡ってきた国民党の境遇とも
通ずるところがあります。
内紛などもあり
鄭氏政権は約20年と短い期間でしたが
英雄として語り継がれています。
日本でも
そのテーマを扱った
国性爺合戦という
人形浄瑠璃、歌舞伎の演目が作られ
江戸時代には楽しまれていたようですが
そのストーリーは史実では訳でなく
鄭成功を軸に創作されたものです。
話を戻すと
昔、留学していたこともあり
10年以上ぶりに訪れたのですが
台北や高雄とは反対に
街並みがほとんど変わっておらず
学生時代に食べた小籠包屋なども健在で
むしろ以前より大繁盛していました。
せっかく
台湾に来たので
日本統治時代に建てられた
パイナップル缶詰工場に立ち寄ってみました。
台湾は
60~70年代に缶詰の生産と輸出が有名で
・パイナップル
・アスパラガス
・マッシュルーム
この3つは
「三缶王」と呼ばれていました。
この中でも
パイナップル工場は
日本統治時代に持ち込まれたものであり
岡村庄太郎という人物が
パイナップル缶詰工場の立ち上げに
深くかかわっています。
彼に出資したのが
当時日本で一番稼いでいた
幻の総合商社と呼ばれる
鈴木商店で
1917年時点では
日本のGNPの10分の1を
稼いでいると言われ
三菱、三井などを凌駕している存在でした。
1895年、日清戦争後
日本に台湾が割譲されてすぐに
砂糖や樟脳のビジネスを開拓するため
すぐに台湾に進出しましたが
第一次世界大戦の好景気を気に
急拡大を進めた後
大震災や、金融恐慌の影響を
台湾銀行からの融資の打ち切りに合い
1927年に事業停止に追い込まれてしまいます。
鈴木商店の流れをくむ会社は
今でも数々の有名な企業として残っています。
(双日、帝人などなど)
普通列車を乗り継ぎ、
九曲堂という小さな駅に
パイナップル工場跡地はあります。
駅ではキャラクターや花瓶、
トイレを表す男女マークにまで
すべてパイナップルの絵が使われており
この町の特産だと
駅に着くとひと目でわかります。
そんなパイナップル工場も
日本時代の赤レンガ建築が残されているのですが
今では生産しておらず、小さな博物館となっています。
レトロな工場建築が残されているのですが
ほとんど人はいませんでした。
日本人ということで珍しがられ
門衛のおじいさんが
「博物館の説明をしてあげよう」と言い
パイナップル産業の歴史を
付きっきりで説明してくれました。
門衛の仕事はしなくていいのかとは思いましたが。
当時の日本人技術者が
手書きで丁寧に書いた、
工程の流れ図とポンチ絵、工程の説明が
展示されており
もともと
手作業でパイナップルの
皮や芯を取り除き
スライスしていた部分が
設備によってすべてできていく過程が分かり
この時代で既にこんな技術を使っていたのか
驚きます。
(取りのぞいた皮や芯を圧縮して絞り出し
缶詰の液体とするとこまで
同じラインの中でできるようです。)
明治、大正時代の技術者の緻密さ、
慣れない環境での設備とりつけや
ライン設計、管理がどれほど困難だっただろう
と想像しながら、当時の工場跡を見学しました。
他にも
ソーセージ工場
たばこ工場跡地
製糖工場跡地
を見学しましたが
この明治、大正、昭和時代の
産業を支えた工場跡地
それに関わった日本人など
資料がこれだけ残っているのは
台湾ならではではないでしょうか。
旅行中にまで工場見学をしてしましましたが
どこか懐かしさを感じる台南を満喫してきました。
ありがとうございました!
