おはようございます。
カイゼン研究会(a-Sol上海) 宇賀です。
中国に来てから
少しがっかりしたことの一つに
歴史的な建築が
あまり残されていない
という感覚がありました。
中国の長い歴史
秦の始皇帝や
項羽と劉邦
三国志などへの
興味や憧れがあり来たのですが
いざ、
その歴史が謳われている
観光地などに行くと
長い戦乱や
時代ごとに皇帝が変わる度に壊されたり
また
近代では文革での影響もあり
かなり新しく建てられ
商業化された場所になっていることが
よくあります。。
ですが
今回訪れた山西省は
そんなイメージを覆すくらい
古建築が残っており
唐時代に建てられた南禅寺など
元朝の時代以前に
建てられた木造建築において
中国の80%以上が
山西省に集中しているそうです。
偉そうに書いていますが
もちろん
そんなことは知らなかったので
今まで訪れたことはなかったのですが
今回
太原と大同という町に
行くことになりました。
省都の太原に着いて
すぐに
噂どおりの歴史保存状態を
痛感しました。
太原のすぐ近くに
晋祠という
中国の小説
封神演義のモデルにもなった
殷を倒した周の武王
その息子を祀った
日本で言う神社のような場所があります。
(封神演義は漫画化されジャンプでも連載していました。)
その場所は
広い公園のようになっていて
その中に博物館があり、
博物館に入るには
チケットが必要ということでしたが
着いてみると
その公園自体は
新しく作られたものだったので
「結局、歴史の町とは言いながら
博物館の展示を見るだけか。。」
と
また少しがっかりしていました。笑
ですが
そんな公園を奥に
どんどん進んで行っても
博物館のような建物はなく
急に壁が表れます。
公園のある一定以上の
奥には進めず
壁で仕切られており
その壁より奥が博物館だと
いうことでチケットを要求されます。
壁の奥に入ると
そこももちろん
公園の延長で屋外なのですが
すべての建築が
一番新しいモノでも清の時代
古いものだと宋の時代
そんな建築物や
彫刻、銅像が
公園のいたるところにあるのです。
イメージしていた
壺などが展示されて
コレクションされているような
博物館ではなく
歴史ある、
尚且つ保存状態も良い
建築や像、
彫刻が多すぎて
その壁の向こうの
エリア全体が
「晋祠博物館」と呼ばれ
屋外にある天然の博物館として
奥に行けば行くほど
古い建築があるという
場所になっていたのです。
その
木造建築も圧巻で
日本の寺社仏閣とはまた違い
大きな屋根を支える
肘木(ひじき)や斗栱(ときょう)
出組の部分が複雑で何重にもなっており
日本の寺などでは
その部分は控えめで
むしろ軒の影の感じがきれいに
見せようとしている気がしますが
中国では、
むしろその構造の複雑さや
段組みを正面から思い切り見せて
その支えている連続している
斗栱に圧倒されます。
(日本でも遣唐使など唐の影響が濃い
東大寺などではこういう感じもあります。)
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%96%97%E6%A0%B1
(日本と中国の違い wikipedia)
ヨーロッパや西アジアなどの
教会やモスクといった
シンボル的な建築は
ほとんど石造りが多く
建物の空間を広くとるために
石でのアーチ状やドーム形状で
造ってきましたが
日本や中国では
木造がメインで
木造建築では
大きな屋根を中心に、
その角度と長さ
それを受ける梁と桁
またそれを受ける柱
大まかに言うと
屋根を支えるこういった構造が
建築の制限になってきます。
(柱を減らし、柱と柱の間が長すぎると、梁が屋根を支えられれないなど)
日本ではそういった屋根を中心支える
制限をなくし、広い空間を作るために
平安時代くらいに
屋根の上に屋根を付ける
「野屋根」という構造が生まれ
柱や空間の制限を乗り越えました。
(屋根裏の空間はこの屋根と屋根の間)
一方
中国では
柱から斗栱を何段にも重ね
大きな屋根を支えるという先ほどの構造が
発達していったようです。
もともと
寺なども唐の時代の技術が
日本に入ってきて似たような構造だったのに
雨が多いなど
屋根の角度を急にしたいなどの違いから
外部空間(外の屋根)と内部の屋根を
分けるようになっていき
日本風の
寝殿造りや書院造りになっていったというのは
感慨深いものがあります。
中国ではそうならず
屋根、梁、柱、斗栱が分離されず
その構造自体が装飾になっているので
同じ木造建築でも
印象がまったく違うのが面白いです。
中国の寺院に行くと
一つ一つの建築の空間自体が
日本のように広くはせず
門から入って
奥に、奥に
南北にいくつもの殿が並んでおり
左右対称で
一直線の並びになっています。
日本では
そういった構造は少なく
左右非対称、
庭園や、自然、余白が多いつくりで
同じ仏教寺院でも
かなり体験が違います。
ちなみに、
寺院では必ずある仏塔は
もともと
仏陀の骨を埋めた塚で、
インドでは縦長のドーム型でした。
中国に伝来してくる中で
中国にもともとあった
楼閣建築のような形になり
日本ではそれが持ち込まれたので
五重塔のような形が当たり前のように
なっていますが
発祥の地インドでは
仏塔はかなり違う形をしています。
(ストゥーパと呼ばれます)
建物の話が長くなってしまいましたが
山西省は全土にこういった
歴史遺産が保存されており
三国時代が終わり
後の隋につながる国
北魏の都、平城
現在の大同には
岩に掘られた巨大な仏像で有名な
雲岡石窟が北魏の王によって作られました。
(南北朝時代)
まだ
仏教が日本に伝来する前の仏像で
奈良の大仏などの穏やかな表情とは違い
インド感の残った
力強い顔の仏像が印象的です。
その後、
北魏が洛陽に遷都した後に
洛陽の龍門石窟が
同じように作られた経緯があります。
とにかく
昔のモノが
残っている山西省なのですが
近代以降~現在にかけては
石炭で有名な都市になっています。
中国で採掘される石炭の
約4分の1以上は山西省で
省のGDPの
約4分の1が石炭産業で成り立っている
といわれています。
(中国では発電量の50%が石炭火力発電です)
歴史建築のことばかり
書いてしまいましたが
今回は
大同の炭鉱見学目当てで
山西省を訪問しました。笑
山西省は巨大炭鉱だらけです。
旧炭鉱跡を
ヘルメットをかぶり
専用の作業着を着て
地下に降りるリフトに乗り
見学してきましたが
その安全管理の難しさ、
事故の多さは、
製造業、
工場とはまったく違う
自然を相手にすることの危険さを
思い知らされます。
坑道を掘り、
それが崩れないように支え
地層から出る水の排水経路、排水機能の確保
地層から出るガス(メタン)などの排気経路
排気によって
一定以上にガス濃度が上がらないような管理
そんな環境を整え
管理された状態で初めて
石炭を掘り出すという作業ができます。
掘り出した重い石炭を
また運搬して外に出すという重作業もあり
これを
ほとんど人の力のみで行っていたことに
脱帽します。
最近、
山西の炭鉱にて悲惨な事故が
起こってしまいましたが
(ガスの爆発)
炭鉱を見学したり、
説明を聞けば聞くほど
事故の起こらない炭鉱なんてないのではないか?
と
命がけの作業であるような気がしてきます。
日本でも
福岡県と熊本県にまたがる
三池炭鉱という有名な炭鉱がありました。
もともと
藩営から明治時代には官営になり
その後、三井の運営になり
その町全体が
炭鉱夫や炭鉱産業で成り立っていたのですが
そこでも大事故が何度か起こっています。
今では
石油や天然ガスへの切り替えで
日本では大規模な炭鉱産業はなくなり
今は、
北海道の小規模な炭鉱が残っているくらいですが
中国ではまだまだ巨大産業で
この省の経済を支えています。
山西省は
産業としてあまりにも大きく
加えて、石炭依存が強いので
石炭利権も大きく
ドラマのモデルになるくらい
大規模な汚職が起こったりもしています。
石炭の開発権
開発業としての認証
販売権や環境規制認証への審査
いろんなプレイヤー
地方政府と炭鉱会社や開発会社、
地元警察や
汚職を取り締まる側の規律検査委員まで
すべてが機能していないと疑うくらい
大人数が関わった汚職問題で
2014年には
一万五千人を超える党員が
処分されるという事態にもなりました。。
山西省で
いかに石炭利権や
石炭によるお金の動きの影響が大きいかが
わかります。
山西省が
いかに良い場所かを
オススメするために
書いてきたつもりでしたが
話題がそれ過ぎました。
石炭博物館や
炭鉱見学はおすすめなのですが
社会見学のような感じで
子供連れの方が多く
2時間~3時間と地下に潜り
時間的にも長いし
参加者みんな
あまり石炭に興味がなく
飽きてくるのか
途中から
親が子供に対して
「しっかり勉強しないと
ここで働くことになるよ。ちゃんと勉強しなさい」
と変な説教をしている人たちが
ちらほらいました。
炭鉱を
子供を脅す材料として
使うのはどうなのか、
失礼すぎるだろう。
と思ったことを思い出しました。
なぜか、あまり
山西省のアピールにならない
記憶ばかりが出てくるので
山西グルメ情報を言うと
刀削麺の聖地でもありますので
麺が好きな方にも是非おすすめの場所です。
と、最後にアピールさせてください。笑
P.S
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http://www.a-solsh.com/pdf/2050609.pdf
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