こんにちは。
カイゼン研究会 宇賀です。
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https://note.com/like_fish4618
初めて
インドという国に行ってきました。
以前勤めていた会社では
インドへの駐在経験がある
先輩や同期が何人かいて
現地での生活などを
教えてもらったりしたのですが
その苦労話を聞くだけで
自分では無理なのではないか?と
怖気づいてしまい
なかなか行けないまま
時間がたってしまいました。
しかし今回、
ひょんなことからお誘いがあり、
ついにインドに行くことになりました。
上海→デリーへは
東方航空の直行便があり
行きは7時間、帰りは5時間くらいで
意外と近いです。
デリーに着いてみると
本や映画を見て
想像していたような
人の多さや客引き
雑多で混沌としたイメージとはまったく違い
清潔できれいな空港で
一歩外に出ても、
ずっと客引きに付きまとわれる。
というようなこともなく
中国と同様に
快適に移動でき
肩透かしを食らったような気分になります。
行く前は
インドのことを恐れ過ぎており
相当気を引き締めてきたのですが
駐在経験者から聞いた苦労話から
想像を膨らまし過ぎていたのかもしれません。笑
1週間くらいいましたが
おなかを壊すこともありませんでした。
正直、想像していた混沌とした体験は
できずに帰ってきました。笑
むしろ
タージマハルなどの有名な観光地は
中国よりも厳しく管理されており
荷物検査、ボディチェック、火気チェック
ライターもマッチも
たばこまで没収されるくらいで
想像以上に厳しかったです。
(たばこは返してくれよと思いましたが。笑)
初めての国なので
比較はできないのですが
ちょうどデリーで
AIインパクトサミットという
モディ首相をはじめ
各国の要人や
(フランスのマクロン大統領も来ていたり)
ビルゲイツやグーグルのCEO、
OpenAIのCEOなど
グローバルIT企業が集まる
一大イベントが行われていたため
事前に清掃や準備が行われ
かなりきれいになっていたのかもしれません。
そんなことを疑ってしまうくらい
イメージと違いました。笑
そんな風に
拍子抜けしながらも
ヒンドゥー教の聖地、
ガンジス川沿いの街、
バラナシ(varanasi)を訪れると
一気に雰囲気が変わります。
訪問した時がちょうど
1年に1度のヒンドゥー教の神
シヴァ神を祝う
お祭りの日だったこともあり
街のいたるところで、
それを祝う神輿(みこし)や
街宣車のような
大きなスピーカーを乗せた車から
耳をふさぎたくなるくらい大音量で
インド独特の弦楽器による音楽が流れ
大勢の大人や子供が
おめかしして
お祭りを楽しんでいました。
街中のヒンドゥー寺院で
それぞれ地域ごとの共同体で
行われているようで
中国の祝日を祝うような
集まりというよりは
日本の各神社で
行われる縁日のように
各村で
お祭りを楽しむ人々で
にぎわっていました。
どこか
正月で
初詣にぞろぞろ行くのに似ています。
ちなみに
ヒンドゥー教というのは
なかなかわかりにくく
イメージとしては
キリスト教が始まる以前の
古代ギリシャの神のように
ゼウスやアテネなど
いろんな性格の神がいて
自然の恵みに感謝するような
祈りや祀りが
各共同体で行われているのですが
ヒンドゥー教は
それよりかなり複雑で
いろんな神が登場しますが
時代によって
位置づけや重要度が変わってきています。
途中で
仏教なども
派生してくるのですが
それ自体の教えも
ヒンドゥー教の中に取り込んでいたり、
そもそも
キリスト教で言うバイブルのような
聖典がなかったり、
その時代の価値観と
別の宗教への派生と
派生した考えも取り込み、
各村の風習も区分けせず
すべて混ぜ込んだようになっているので
なかなか整理ができません。
インド哲学を
専門とされている
赤松明彦教授でさえも
ヒンドゥー教とは何か?
という問いに対して
「インドに住む大多数の人々の宗教で
イスラム教でもキリスト教でも、
仏教でも、シク教でも、ジャイナ教でも
ゾロアスター教でも、ユダヤ教でもないもの。」
と答えて
定義の困難さこそがヒンドゥー教で
全体を語ることができないと言っています。
信仰の対象の神と
人間との関係や
この世界との関係が
時代ごと、
地域ごとで
かなり違っているけど
すべてを含んだ
重層的なものになっているのですが
今は
このシヴァ神というのが
街中に像やポスターがあって
中心として祀られているようです。
それでも
早朝のこのガンジス川には
祈りのために、
遠方から隊列を組んで
歩いてきた修行僧たちや
沐浴するために
銭湯に行くようなお風呂セットをもって
歩いてくる地元の人々
また亡くなった人の
火葬のために来ている人々
そして
観光として来ている
外国人とインド人
みんな混ざりながら
川岸に集まっている様子は
どの国のどの場所にも似ていない
インドらしさがあるように感じます。
このバラナシという場所は
手織りのシルクが有名なので
工場見学にも行かせてもらいましたが
工場と言っても
一軒一軒の民家の中に
織機があり、自動のモノもあれば
手織り機もあるという
民家の集積のような場所です。
トヨタ博物館に飾られているような
昔の織機がまだ現役で動いていることにも
感動しますが
この職人の
細かくパターン、柄のデザインを
紡ぐ技術にも驚かされます。
今でこそ
シルクで有名ですが
産業革命の前までは
インドのコットン生地が
世界の覇権を取っていました。
(キャラコと呼ばれていた)
イギリス、オランダ、フランスの
東インド会社はこのコットン生地を
ほとんど通貨代わりとして
アジアでの貿易を行っていたほどです。
その時代は
中国でお茶とシルクを買ったり
日本で銀や銅、
漆器などの工芸品を買ったり
(当時の武士層が
インド柄の更紗を着ていたというのは
感慨深いモノがあります。
その後、日本独自の和更紗が
できるそうです。)
特にヨーロッパ向けでの
インドの木綿生地は
敵なしという状況だったようです。
あまりにも強すぎるため
自国産業へのダメージが強く
イギリスやフランスでは輸入禁止にまでなります。
何がそこまで
強かったかというと
ヨーロッパではウールや
リネンが主要生地だったので
コットン(綿織物)自体の
軽さや着心地も競争力でしたが
その中でも
デザイン(染色技術)が
圧倒的だったようです。
もちろん
ヨーロッパでも染色はできるのですが
綿は染まりにくく、洗濯や日の光で
色落ちしてしまう、
長持ちしないものがほとんどでした。
しかし、
インド綿織物の
紀元前にまでさかのぼる
長い歴史の中で
職人たちの経験則で培われた
染色、媒染技術は
当時のヨーロッパでは解明できず
真似できない技術でした。
ただ染色がすごいという訳ではなく
各工程プロセスでポイントがあり
当時のインドの職人に
ただただ頭が下がります。
・綿の下処理
色が染まりやすくするために
綿を洗い、沸騰させることを繰り返す。
・媒染のための処理
綿にミョウバンなどの媒染
色の定着を促すための
現代で言う繊維化学を駆使していた。
・媒染
ミョウバンや鉄などの化学物質を駆使し
どの部分を何色で染め、
その色で固定するための媒染材を
使い分けていた。
・防染・染色
染めたくない場所への防染物質と
染色のための媒染を
何十回も重ねて行い
色落ちしない強さを作り上げた。
などなど
今でこそ
化学式で解明されて原理が分かるけど
当時の職人が
自分たちの経験で
こうしたら色が落ちないという技法を
このように伝統の中で編み出していただので
ヨーロッパでは
化学が発展するまで真似できなかった
ということでした。
ほとんど
産業革命のきっかけと
言って良いくらい
このコットン(綿産業)の強さが際立っていたのですが
輸入禁止の間に
この大産業である綿織物を
どうにか
より安く
より美しく作ろうとする試行錯誤の中で
産業革命につながっていきました。
この産業革命のプロセスも
それぞれのお国柄が出ていて面白く
イギリスでは生産性を高めるために
一番コストの高かった糸をつむぐ工程(紡糸)
から自動化が始まったのに対して
フランスでは
デザイン、つまり染色技術の研究から
染める部分の一部を自動化するところから
進んだというのが
その国の消費者が
何をインドの綿織物に求めていたかが
反映されていて面白いです。
そんな
インドの綿織物と
ブロックプリント(木版)を
見たかったので
バラナシのツアーガイドに頼むと
「オーケー!任せて」
と言いながら
外国人観光客狙いの
小さなシルク織物屋の一室に
連れていかれました。
店の中で
4人のインド人店員に囲まれながら
「このシルクはどうだ?」
と何枚ものシルクを
カーペット上に
広げてくる時間が続き
気が弱いため
断り切れず
全然いらないけど
1枚買ってやっと外に出られました。。
その後
ジャイプールという町の
綿織物博物館で
お目当てのブロックプリントを
拝見できたので良かったですが
このように急に
話していたのとは違う
おみやげ屋に連れていかれて
閉じ込められるというのは
何度もありました。笑
初めてのインド訪問で
情報量が多すぎて
とりとめもなく
書いてしまいましたが
カレーも美味しかったですし
また行きたいと思っています。
もし
インドに詳しい方いたら
ここに行った方が良いなど
おススメ教えてもらえればうれしいです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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